近年、インターネット上でのサービス利用において、セキュリティと利便性の両立が大きな課題となっています。従来のパスワード認証は、記憶の負担や、情報漏洩のリスクといった問題がつきまといました。
そうした課題を解決する次世代の認証技術として、今、「パスキー(Passkey)」が注目を集めています。本稿では、このパスキーの基本的な概念から、そのメリット・デメリット、そして最も重要な仕組みと安全性について、詳しく解説していきます。
パスキーとは何か?
パスキーは、FIDO(Fast IDentity Online)アライアンスとW3C(World Wide Web Consortium)によって策定された、公開鍵暗号技術に基づく新しい認証標準「WebAuthn(Web Authentication)」をベースにした技術です。
WebAuthnは、デバイスに内蔵された生体認証機能(指紋、顔、虹彩など)や、PINコードなどを用いてユーザーを認証し、その認証情報(公開鍵と秘密鍵のペア)を利用してサービスへのサインインを可能にします。この一連の認証情報が「パスキー」と呼ばれることが多いです。
簡単に言えば、パスキーは「パスワードレス認証」を実現するための技術であり、ユーザーはパスワードを覚える必要がなく、スマートフォンやPCなどの自分のデバイスを使って、安全かつ簡単にサインインできるようになります。
従来の認証方法との最も大きな違いは、パスワードのようにサーバー側に機密情報(パスワードのハッシュ値)を保存しない点です。これにより、サーバー側で情報漏洩が発生しても、ユーザーの認証情報が悪用されるリスクを大幅に低減できます。
パスキーのメリット
パスキーが次世代の認証技術として期待される最大の理由は、そのもたらす多くのメリットにあります。特に「利便性」「セキュリティ」「クロスプラットフォーム性」の3点において、従来のパスワード認証を大きく上回ります。
認証の利便性が飛躍的に向上する
パスキー最大のメリットの一つは、認証の手間が大幅に削減されることです。
- パスワードを覚える必要がない: サービスごとに異なる複雑なパスワードを設定したり、それを記憶したりする負担から解放されます。
- サインインが高速: ユーザーは、自分のデバイスで生体認証(指紋や顔)を行うか、PINコードを入力するだけで、瞬時にサインインが完了します。この動作は、パスワードを入力して「サインイン」ボタンを押すよりも遥かに迅速です。
- 入力ミスがない: 複雑なパスワードを入力する際のタイプミスや、大文字・小文字・記号の区別といった煩わしさから解放されます。
フィッシング詐欺や情報漏洩に強い、高いセキュリティ
パスキーは、設計段階からセキュリティを最優先に考えられています。
- フィッシング攻撃への耐性: パスキーは、認証を行うウェブサイト(ドメイン)と紐づけられています。ユーザーが偽サイトに誘導されたとしても、そのサイトのドメインに対応するパスキー(秘密鍵)はデバイスに存在しないため、認証が成立しません。これにより、従来のパスワードのように、ユーザーが誤って偽サイトで認証情報を入力してしまう「フィッシング詐欺」の被害を防ぐことができます。
- サーバー側での情報漏洩リスクの低減: パスキー認証では、秘密鍵はユーザーのデバイス内に厳重に保管され、サーバー側には公開鍵のみが保存されます。万が一、サービス提供側のサーバーがハッキングされ、データが流出しても、攻撃者は公開鍵しか入手できず、ユーザーとしてサインインするための秘密鍵は手に入れられません。
- 強力な暗号技術: 公開鍵暗号方式という、非常に強力で信頼性の高い暗号技術に基づいており、安全性が担保されています。
複数デバイス・複数プラットフォームでの利用が可能
パスキーは、一つのデバイスに留まらず、利用者が持つ複数のデバイス間で同期・利用が可能です。
- クラウド同期による利便性: Apple(iCloudキーチェーン)、Google(Googleパスワードマネージャー)、Microsoftなど、プラットフォーム提供各社がパスキーの同期機能を提供しています。これにより、スマートフォンで作成したパスキーをPCでも利用するなど、デバイスをまたいだスムーズなサインインが可能になります。
- OS/ブラウザを超えた互換性: パスキーは、標準化された技術であるため、異なるOS(iOS、Android、Windows、macOS)やブラウザ(Chrome、Safari、Edge、Firefox)間での互換性を持っています。
パスキーのデメリット
パスキーは多くのメリットをもたらしますが、普及の途上にある技術ゆえに、いくつかのデメリットや課題も存在します。
利用できるサービスが限定的
現時点では、全てのウェブサービスやアプリケーションがパスキーに対応しているわけではありません。パスキーを利用できるのは、大手IT企業が提供する一部のサービス(Google、Apple、Microsoft、PayPalなど)に限られています。パスキーが本格的に普及するには、より多くのサービス提供者が対応を進める必要があります。
デバイス依存性とその紛失・故障リスク
パスキーの「秘密鍵」は、原則としてユーザーのデバイス(スマートフォン、PCなど)に紐づいています。
- デバイス紛失・故障時の対応: パスキーがクラウド同期されていない状態で、デバイスを紛失したり故障させたりすると、そのデバイス内の秘密鍵が失われ、対象サービスにサインインできなくなるリスクがあります。
- 復旧手段の確保の重要性: パスキーの利便性を享受するためには、クラウド同期を有効にするか、または万が一の事態に備えて、従来のパスワードやバックアップ用の二要素認証手段などを確保しておく必要があります。これは、パスキー認証に完全に移行した後でも、サービス提供者が設定している復旧手段に従うことが求められるという意味です。
セキュリティキーの管理と利用シーン
セキュリティを高めるために、専用の物理的なセキュリティキー(FIDOキー)を利用する場合、そのキーの携帯や管理が必要になります。物理キーを紛失するとサインインできなくなるため、管理には注意が必要です。ただし、多くの場合はスマートフォンなど、日常的に使うデバイスが「認証器」となるため、このデメリットは限定的です。
パスキーの仕組みと安全性
パスキーが従来のパスワード認証に比べて圧倒的なセキュリティと利便性を両立できるのは、その仕組みに秘密があります。ここでは、パスキーがどのように動作し、安全性が担保されているのかを解説します。
パスキー認証のコア技術:公開鍵暗号方式
パスキー認証は、「公開鍵暗号方式」を基盤としています。この方式では、「公開鍵」と「秘密鍵」という2つの鍵がペアで生成されます。
- 鍵ペアの生成(登録時): ユーザーがサービスにパスキーを登録する際、ユーザーのデバイス(認証器)上で、一対の公開鍵と秘密鍵が生成されます。
- 秘密鍵(Private Key): ユーザーのデバイス内(セキュアエレメントなど)に厳重に保管され、決して外部に送信されません。この鍵が「パスキー」の実体です。
- 公開鍵(Public Key): サービス提供側のサーバーに送信され、ユーザーの識別子(ID)と紐づけて保存されます。
- サインイン時の認証(認証時):
- チャレンジの送信: ユーザーがサインインを試みると、サーバーはランダムなデータ(チャレンジ)をデバイスに送ります。
- 生体認証による秘密鍵の解放: ユーザーはデバイス上で生体認証(指紋、顔)やPINコードを行います。この認証が成功すると、デバイスは安全に秘密鍵にアクセスできるようになります。
- 署名の生成と送信: デバイスは、取得した秘密鍵を使ってサーバーから送られてきたチャレンジデータをデジタル署名し、その署名をサーバーに送り返します。
- サーバーによる検証: サーバーは、保存してあるユーザーの公開鍵を使って、送られてきた署名が本物の秘密鍵によって作成されたものかを検証します。署名が検証されれば、本人であると確認され、サインインが成功します。
高次元のセキュリティを担保する理由
この仕組みが、従来のパスワード認証よりも高いセキュリティを担保する主な理由は以下の通りです。
1. 秘密鍵が漏洩しない構造
最も重要な点です。秘密鍵はデバイスのセキュアエレメントという隔離された安全な領域に保存され、サーバーには送信されません。
- セキュアエレメント: スマートフォンやPCには、認証情報を安全に保管するための特別なチップや領域があり、秘密鍵はそこに保管されます。アプリケーションやOSの他の部分からもアクセスできない構造になっているため、マルウェアなどによる盗難も極めて困難です。
2. サーバーはパスワードを知らない
サーバー側に保存されているのは、公開鍵という検証用の情報だけであり、サインインに必要な秘密鍵ではありません。そのため、サーバー側で大規模なデータ侵害が発生しても、攻撃者は公開鍵しか盗めず、ユーザーになりすましてサインインすることはできません。
3. ドメイン(ウェブサイト)の同一性を厳格に確認
パスキーは、作成されたドメイン(例: https://www.google.com/search?q=google.com)と厳密に紐づけられています。サインインの際、デバイスは「今アクセスしているサイトのドメイン」と「パスキーが紐づいているドメイン」が一致しているかを自動で確認します。
これにより、ユーザーをだまして認証情報を入力させるフィッシングサイト(例: gooogle.com のように本物そっくりに作られた偽サイト)に対して、パスキーは機能しません。偽サイトのドメインは、本物のパスキーが紐づけられたドメインとは異なるため、デバイスは署名を行わず、認証は失敗します。この点が、パスワード認証の最大の弱点であったフィッシング攻撃への特効薬となります。
4. 2要素認証(MFA)が内包されている
パスキー認証は、その性質上、実質的に強力な2要素認証(MFA)の要件を満たしています。
- 知識要素(Something you know): ユーザーが知っているPINコードやパスワード(秘密鍵を保護するためのローカル認証)
- 所有要素(Something you have): 秘密鍵が保存されている自身のデバイス
デバイスの秘密鍵を使うためには、ユーザー自身がデバイス上で生体認証やPINコードによるローカル認証を成功させる必要があるため、「持っているもの(デバイス)」と「自分自身(生体情報や知識)」の組み合わせとなり、非常に高いセキュリティが実現されます。
🌐 パスキーの普及と未来
現在、Google、Apple、Microsoftという世界の3大プラットフォーム提供者がパスキーを全面的にサポートし、相互運用性を確保しています。これにより、パスキーは特定のベンダーに依存しない、真のグローバル標準として普及が進むことが確実視されています。
パスキーは、インターネット上の認証を根本から変える技術です。セキュリティと利便性を両立し、これまでパスワードが原因で発生していた多くの問題(アカウントの乗っ取り、情報漏洩、パスワード忘れなど)を解決する可能性を秘めています。
利用できるサービスは徐々に増えており、今後数年で、パスキーがインターネットにおける標準的なサインイン方法となることが予想されます。
私たちユーザーは、パスキーに対応したサービスから積極的に利用を始め、新しい認証体験とその高い安全性を享受していくことが求められます。パスキーは、より安全でストレスのないデジタルライフへの扉を開く鍵となるでしょう。
まとめ
| 要素 | パスキーの特長 |
| セキュリティ | 公開鍵暗号方式、秘密鍵のサーバー未送信、フィッシング耐性。 |
| 利便性 | パスワードの記憶が不要、生体認証でサインインが瞬時に完了。 |
| 仕組み | デバイス内で鍵ペアを生成し、秘密鍵で署名、サーバーは公開鍵で検証。 |
| 課題 | 対応サービスの拡大が必要、デバイス紛失時の復旧手段の確保。 |
パスキーへの移行は、インターネットの歴史における大きな転換点と言えます。この新しい技術の仕組みを理解し、その恩恵を最大限に活用することで、私たちはより安心で快適なオンライン環境を手に入れることができるでしょう。
